金による愛情表現は果たして本人に伝わっているのか

世の中は随分と変わった
昔は振り込めない詐欺なんて言葉があるくらい
人が作った物に対しての対価なんて
それこそマイリスト数と再生数でしかなかった
実況者が旅行の様子をDVDにして
コミケで頒布したら尋常ではないほどに叩かれていたくらい
嫌儲の雰囲気が蔓延っていた

それも今は昔の話
イベントに出店なんてしなくても
絵だってグッズだって気軽に売れるし
基本月額だったりするが
お金を払えば動画が見放題だったり
ここでいえばnoteの有料の記事だったり
サブスクだのメンバーシップだの
スパチャだのギフトだのビッツだの
そういった創作者や配信者がお金を稼ぐ手段が
昔とは比べ物にならないほどに増えた

Amazonなどの動画サービスやイラストなどに
金を払うのはまぁ分かるが
一個人の配信者に所謂投げ銭をするという
行為は俺には残念ながら理解できない
当たり前のように月額に払う
自分のお金の負担を増やす気持ちがわからないし
所謂赤スパを投げてまでつらつらと思いの丈を
伝えたい人間なんて存在しないからだ

Amazonの欲しい者リストを公開している人間なんて
どっからどうみても乞食なのに
それなのに誰も文句をいう人間なんて
もはやどこにも存在しないのだ
『当たり前になったのだ』

それに配信者が金を投げるリスナーのことを
いったいどういう目で見ているかは甚だ疑問である
特にVに関して言えば
数パターンの固定化された表情からは
リスナーを単なる金ずるとしか見ていないのか
否かなんてものは
その上っ面の美麗な顔からは
たとえ中身が醜悪だったとしても
それを窺い知ることは不可能だ

するなとは決して言わない
俺がただ、その気持ちがわからないというだけの話だ
本人がこれは金に見合うコンテンツだ!!!!!!!と理解したうえで
金を支払っているのだ。なにも問題なんてない
金を投げる彼らは彼らできっと幸せだし
お互いが幸せなら
Win-win の関係というやつなのだろう

俺がお金を投げれる財力と、お金を受け取る価値のある人間の
どちら側にも嫉妬しているというのも確かにあるが

匿名という文化で育ち、嫌儲という空気の中で生きてきた
人間はもう既に古臭くて、時代についていけなくて
今日もネットの片隅でたった一人
もはや誰も共感しなくなった文句を言う
生産性のない日々を送っているのだった